わたしの今の価値観でいろいろを語るブログ

みんながすなるblogというものを、わたしもしてみむとてするなり

お父さんへ

私は学校へいけなかった時期がある

 

高校2年のときだ

 

いじめられていたわけではなく、体調の問題でこころを少し病んでしまったから

 

それは数か月間の不登校ではあったけれど、とても勇気のいることであった

 

もう二度と戻れないかもしれない もう私に未来はないかもしれない 

どうやってこれから生きていけばいいのか 先が見えない

 

そしてそんな思いを抱くのは私だけではない

 

と、いうよりもっと強く思いいだいてくれていたのが両親だった

 

私が体調を崩して、ずっと学校に行きたくないといっていたのを知っていた

どうにか根本を解決しようとたくさんの病院に一緒にまわってもくれた

 

でも、だからこそ、学校に行かなくなるのだけは避けたかったのだ

その当時は今よりもまだ、不登校になってしまうことに対する不安や偏見が強かったから 将来のことを考えると、どうしても学校には行き続けてどうにか卒業してほしかったのだ

 

そして、結果的にそれは叶った

私はその後数か月で学校へ戻ることができた

そのあとも体調との闘いは続き、保健室登校やいろいろな配慮を学校にとってもらいながら、無事に大学へも進学できた

 

卒業して何日かたったある日、私はそれを見つける

送り主は高校二年の時の担任の先生 父へあてた手紙だった

長く担任の達筆な文章につづられていたのは、私への担任からの思いや今後のこと

そして、父の私に対する思いに深く感銘をうけたということであった

そうだ父は、私に内緒で担任へどうかこの子をよろしくと、見捨てないでくれと

長い手紙を送っていたのだった あの父が

そんなこと一つも知らなかった 何も言わなかった 

父はいつも、とにかく心配性で、たくさん反対もするけれどもでも最後には私の考えを尊重してくれていた 今回も、ずっと私が悩んできていたこと苦しんだこと知っていたから、だから、何も言わず、認めてくれた

そうだったのだ 何にも知らなかったのは私のほうだった

あれから時は経ち、

あの時の手紙はどこかへ行ってしまった でもそれでいい

たぶん、あの手紙は消えてしまっても、一生消えることはないから

お父さん、お父さんは私が知っていることを知らないよね

でもそれもそれでいいよね

お父さん、まだ言えないな

本当の感謝はここで伝えられない

いつか、本人前に必ず伝えるからだから、その時まで

映画銀魂2 ネタバレあり

銀魂2 掟は破るためにある

 

観てきましたー!

 

正直、やっぱり、

アニメから入ってあれが大好きな私からすると、ちょっと…という感じでした(ごめんなさい1人の感想です!)

 

具体的には、

 

シリアスモードの時のテンポがちと遅いかなぁ

その前はサクサクいっていたから余計にそう感じるのかもしれませんが、途中眠くなってしまった…

 

後、やっぱりこの作品はツッコミの勢いと、間が本当に大切だと思うのです

ボケに対して、的確なツッコミだけでなく少し被せてくるとか、ワンテンポ遅くあえて入れてくるとか…(すみませんお笑いに関する当然の話なのかもしれませんが)

そこが、アニメとは違って少しズレがあった気がします

だから盛大に笑えなかった

いや、多分これはアニメ銀魂の笑いの感覚が私にとってぴったりのスゴすぎるものだったから、私にとっては今回の銀魂2の笑いがハマらないように感じたのかもしれないです…

 

この2点ですかね

 

もちろん、笑ったところも多々ありました!!

 

個人的には

 

桂が全て面白かった(笑)

岡田将生、すごいわってなりました

この人に関してはボケの間が絶妙でしたし、入れてくる場面も的確だったと思います!

アニメのヅラが頭によぎりまくりました!(笑)

実写映画で演じたアニメキャラがよぎりまくるってのは、その方が最高の演技をしているということではないですか!?

 

あと、山崎のお葬式がアニメの所でも大好きなシーンでしたので、ここも面白かった!!

贅沢を言うなら、お坊さんがミロを飲むシーンと、松平のとっつぁんのワンコのお葬式っていうていをきちっと入れて欲しかったかなぁ…(笑)

 

トッシーも最高でした!!

特に朝まで生討論でのトッシーは声のトーン柳楽優弥さすがでした 彼にもオタクチップ刺さってたんじゃないかくらい(笑)

 

後やっぱり本物のエンディングの直前ですかね(笑)

あれは、私たち世代からしたらすぐピンとくるエンディングでもうざわつきまくりです(笑)

小栗旬、歌うまいんだ!!ってなりました(笑)

タイトル、なんだっけ?(笑)

 

 

『頑張って』学校へいくな!!大丈夫 何にも心配しなくていいよ

私たちはなんて狭い世界で生きてるのだろうと

たまに、思う

 

朝、同じ時間に起きて、同じルートを辿り、自分の職場に着き、その職場の人達と一日の大半を過ごす

 

一日8時間労働だとすれば、家族よりも長い時間をそこで過ごす

 

これは、社会人

 

学生ならよりそれは顕著だ

 

決まりきった時間に必ず登校

休みはなるべくしないことで、次の学校への(中学生なら高校へ 高校生なら大学への)よりよい道が約束される

つまり、優等生ならより素晴らしい道が保証される

 

決まりきった制服を着て、決まりきった守らなければならない時間に、人口密度がかなりある、狭い空間の中、黒板を前にしてビシッと何列かに並んで授業を受ける

本当に狭苦しい息苦しい空間で

 

 

果たしてこれが、人生のなんの役に立つのだろうか疑問を抱きつつ、授業をうける(これは、大人になれば、あぁ、あの時の勉強は必要なことだったとわかることも多々あるが)

 

休み時間は10分程度とキチキチのスケジュールの中、一日6時間授業(場所によってはそれ以上)をこの、規律という名で縛られた、学校という一日の大半を過ごす場所で、子供たちは365日生活していかなくてはならないのだ

 

なんて狭い、なんて息苦しい世界なのかと言えなくもないだろうか?

 

私は、そんな学生生活が苦しくて辛くて仕方なかった1人だ だからこんなふうに学校が見えてしまうのかもしれない

見方によれば、こんな風には思わない人ももちろんいるだろう

だけど、ならばその逆ももちろんいる

 

その逆を、決してイレギュラー扱いをしないでほしい

異端児としてみないであげてほしい

あの子は変わっていると、偏見を持たないでほしい

ただ、学校というコミュニティが合わなかった それだけなのだ 

 

ただ、本当にそれだけのこと

 

もうすぐ、夏休みが明ける

 

新学期が始まる

 

どうしても、行きたくない

 

心が拒否している感覚 誰かに迷惑をかけるから、自分の進路がとざされてしまうと思うから、学校へ行かないと、周りに変に見られるから…

だから行かないと

わかっているのに、どうしても身体が動かない

辛くて苦しくて、どうしようもない

 

そこまで思うのなら、学校、行かなくてもいいよ

 

大丈夫だから

 

その世界が、あなたの今の全てということはよくわかるけど、

その世界は、あなたの全てではないよ

知らないだけだから あなたも、周りのみんなも、他に道があることを 知らないだけ

ただそれだけ

だから、何にも思い悩まなくていい

大丈夫

大丈夫だから

 

親御さんや、先生や、友達

 

周りの目 (親御さんを周りの目と言ってごめんなさいでも、本人以外は周りの目として言わせてください)

とても気になるよね

すごくよくわかる

でもね、大丈夫

あなたを本当に分かってくれる人は、その人達だから だから、時間がたとえかかったとしても必ず分かってくれる

だから『周りの目』は大丈夫

あなたがあなたらしく生きていれば、必ず分かってくれる 支えてくれる 信じられるんだよ

 

そして1番信じてほしいのが自分自身

1番信じられなくなるのも自分自身

もしかしたら自分を責めるかもしれない なんて情けないんだとなんでみんなと同じように出来ないんだと 

ううん、それは違うよ

それが、あなたなんだもの

情けなくも、みんなと同じように出来ないことを責める必要も全くない

必要なのは、あなたがそんなあなたを認めて受け入れること それが自分を信じるということ

と、私は思う

 

だから大丈夫

 

ありのままあなたのまま生きているならば

後はあなたを信じ続けてあげること

 

大丈夫

 

何にも心配いらないよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我も人なり彼も人なり

この地上ではだれもがだれかをちょっとずつ誤解したり,されたりしながら生きているのかもしれない

出典: カラフル (文春文庫) , 171ページ より

 

私の大好きな小説の一節

とても印象深く、深く心に刻まれた一節である

 

人は誰しもいい面 悪い面 (善と悪)があると思う

 

例えば

私が誰かのいい面のAという場面を目撃した場合、

もちろんその人に対する印象は良くなる

 

しかしもし私の友達がその誰かの悪い面であるBという面を目撃してしまった場合、もちろん印象は悪へと傾く

 

そして私が見た場面でAが増えるほどその人に好意を抱く

だけどたまたまBばかりをみてしまっている友達はその誰かを好きになることはないだろう

 

もちろん、AとBの両面を持っているはずならこんな風に片方だけがAでもう片方ずっとBなんてことは滅多にないだろう

 

でも、ありえない話ではないはず

それに、近しい関係ならもっと多く接するためにABが等しいくらい垣間見えることもあると思うが、例えばあまり関わりのない人間であったら

例えばご近所さんであったり、または職場で交わりの少ない人であったりしたら、どうだろう

 

同じ一人の人に対する印象は、タイミングによって想像するよりはるかに変わるのではないだろうか

 

わかってはいても、好きになれない

みんな表裏一体であって、自分が好いていないあの人にも必ずいい面はある

わかってはいる、でも…

それは人間の当然の心理だと思う

私もその人の一部分だけなはずだと、苦手な人に対して何度も良いところをみようとしたことはある

だけど、苦手なものは苦手なのだ 理由なんかわからない

私はそれはそれでいいと思っている それが、今の自分なんだから

 

ただ、もったいないことではあるなと思う

 

私がココ最近苦手としている人、(この人は役職がついている、上に立つ人物)

いつも自分の所属の人達を贔屓して、外部の私たちには冷遇している節がある人が、

自分の所属の直属の部下にきちっとダメなものはだめと伝えているところに遭遇した

たまたま、その場面に出くわした

 

あぁ、まただ 私は思う

やっぱり、表裏一体なんだなと

そして、『カラフル』のあの一節を思い出した

人ってやっぱり誤解をして、されてそうやって少しずつズレて生きているんだなぁと

思い返せばわかっていたことではあった

だけど、何度も何度もわすれて、そしてまたこうやって気付く

どうしてこんなにも忘れてしまうのだろう

 

苦手な人物であるのには変わりはないはずなのに、何故か涙が出そうになった

それは、1番上の立場で不器用なりに懸命に全うしようとしている姿を見てしまったからなのかそれとも、自分自身に対する言葉には出来ない思いからなのか

これを書きながらも明確な答えは出ない

 

 

自分に枠はない なりたい自分に遠慮なく進め

本田圭佑が好きだ

 

サッカーのプレー云々ではないのだ

むしろ、サッカーに関してはもうわからない

私は彼の物事の捉え方や生き方が好きだった

 

 

私がまだその頃は自分自身に対して褒めるなんてことを意識的にはしていなかった時期

自分に対して厳しく、戒めていくことが自分の成長に繋がるんだと考えていた時期

 

本田の前向きな姿勢

不可能を不可能で終わらせない

時にはそれでビックマウスと揶揄されようとも 自分を律して高々と目標をかかげそれに向けて前向きに努力 準備していく姿

決して言い訳はしない姿がとてもかっこよく 

イチロー浅田真央ちゃんにも通づる生き方ではないかと

その生き方を尊敬していた

 

今、私も多少の変化はあった

言い訳をしないことが必ずしもいいことではないだとか (言い訳を甘えとは思わないということ)

もっと自分のダメなところに目を向けるのでなく、いいところを照らしてほめること

(ダメな自分も責めずに認めてあげるということ)

こういった自分が今、私は生きやすいし、そうありたいと思っている

 

だから多少、本田の考え方とは違うかもしれない

でもそれでも、尊敬の気持ちは簡単には消えない

それでもやっぱり 彼の前を向いて突き進んでいく姿が 誰に何を言われようと自分をただ信じて突き進んでいくその姿がとても好きだから

 

今回、現役でありながらカンボジアの代表監督に実質なったそうだ

前代未聞

少なくとも日本人ではいない

誰も、やろうとはしないことに挑戦している

ただ、自分が進むべき道 進みたい道 ありたい姿を目指して 自分を信じて進む

なんてかっこいい人なの

中途半端とは思わない だって本田圭佑だから

彼は、やる男だ 私はそう思う

価値観は少しずれてしまったけど、私はこれからも応援していくと思う

本田圭佑が好きだから

本田△

 

 

 

 

現実は自作自演 あなたが変われば全ては変わる

職場に行くのが嫌だ

周囲が攻撃的で辟易する

陰口ばかりいう人がいてその人の話を聞くだけでうんざりする

 

ココ最近、自分が思っていたこと

 

だから自分の心もギスギスしているんだ

 

友達と話してても攻撃的になってしまうんだ

 

私の心が最近冷たいのはそのせいだ

 

私が変わったわけではない

私は間違ってない

 

 

 

本当はわかっていた

 

 

 

 

 

 

本当は周りのせいではない

自分自身のせいだってことを

 

 

 

自分の気持ちを、周りは表す

 

 

私が攻撃的なら周囲も攻撃的に

私が卑屈なら周りも卑屈にうつる

私が『そう』ならまわりも『そう』なる

 

 

自作自演

私の大好きな心理カウンセラーさんの言葉をお借りするとそう表現されるだろう

 

そう、自作自演なのだ

全て自分が、

自分の心が気持ちが心の持ちようが

周りをつまり現実世界を創っていく

 

 

私が変われば周りは変わる

 

 

それが全て

 

 

わかってはいた

わかっていたはずだけど、また道に迷った

だから早目に気づけてよかった

今、このことを再認識できたから

そしてここが初めての人もそれでいい

全てはシナリオ通り

なんにも間違ってない

自分を信じて進めばいい

ただそれだけ

ただ、それだけなのだ

夏、疾風 変革のとき

嵐の新曲 夏疾風

 

夏の甲子園の番組テーマ曲にもなっており、またゆずの北川さんが作ったということもあって話題の1曲になっている

 

先日放送されたMUSICステーション

そこでこの曲を披露したのだが、ただスタジオで披露するだけではなく、甲子園をステージに昼間録画した視聴者リクエスト曲で選ばれたHappinessを放送し、生で夏疾風を歌うというものだった

一緒にパフォーマンスした吹奏楽の人達やチアリーディングの人達も素晴らしかった

 

 

今、というか少し前から歌番組は次々と番組終了の憂き目を迎えていた

歌番組の全盛期はいつなのだろう 詳しいことはわからないのだが

 

私はそんな中同じ歌番組であるこのミュージックステーションがなぜここまでの長寿番組になっているのか なぜ終了をせずにいられるのか 

その訳が、今回の放送をみてわかった気がする

(実際には前々から思っていたことだったのだが)

 

ただ歌を見せるだけではなく、そのアーティストまたは曲にあったテーマで「魅せる」ということを意識していること

今回の嵐で言えば、甲子園をステージにしたことが大きく占める

 

 

あるテーマに基づいたランキングを行い、それを生放送と並行して流すこと

例えばあなたが聞きたい夏歌 とか 冬の定番曲ベスト50とかである

今回で言えば、出演するアーティストの曲で視聴者が聴きたい曲ランクである

 

このような様々な企画を通し、視聴者にただ歌番組を披露するのではなく、エンターテインメントとして存在し、飽きさせない つまりは番組離れをさせないように工夫を凝らしている

マンネリ化を防止しているのである

 

おそらく、これが10数年前であればこのような工夫は必要ない いやむしろない方が純粋に歌番組を楽しむということで収まっていたかもしれない

けれど時代はながれる 純粋な歌番組の放送を経て、時代は次のステージへの段階にさし向かって行った

そして、それに抗うことなく、柔軟に流れに乗った それがミュージックステーション

 

時代は移り変わる これは止めようもない

そして、流行り廃りももちろんその中に含まれる

だから、世間の見方や嗜好ももちろん変遷する

ずっと変わらないままでは、成功はありえないのである

 

何かを変えることは、特に自分の進んできた道を変化させることはとてつもなく抵抗があることであろう それは当たり前のこと

しかしそこにいくらかの抵抗はあったとしても、その考えを一つのものとして受け止め、認めた時に 改めて本当の進むべき道が浮かび上がるのかもしれない

これはテレビ番組だけに留まる話ではない